CTAFTSMAN.20

厳しい土地と対峙し、
未来につなげる

訓子府町大谷の玉ねぎ農家

昆野 将之さん

私は、訓子府町の大谷という地区で農業を営んでいます。開拓農家4代目になります。
元々は農業を継ぐつもりはなく、本州の大学に進学し、経営学を専攻していました。地域経済学という授業を受けた時、農業で地域発展している代表例として訓子府町が取り上げられ驚きました。これをきっかに地元を見つめ直すようになり、先人たちの功績、この地域の魅力、農業の重要性と可能性に気付くことができ、農業経営の道を歩むことを決めました。

「せっかく大学を出たのに農家をやるのか?」、「苦労するからやめておけ」など反対の声もありました。というのも、私の農地は山の上にあり、傾斜地で土は粘土質、おまけに大きな石がゴロゴロと出てくる厳しい環境にあるからです。さらに経営規模も訓子府町で一番小さかったのでなおさら心配されたのでしょう。
近年続く異常気象ではこのような条件不利地はもろに影響を受けます。作土が浅いので干ばつに弱く、集中豪雨に当たるとたちまち傾斜に沿って水が走り、土が流亡してしまいます。時間をかけて育てた土と作物が無常にも流されていくのは何よりも悲しいです。

しかしながら、悪いことばかりだとは思っていません。このような苦労が絶えない土地でも、長く向き合っていると不思議なもので愛着が湧いてきます。山の上なので見晴らしが良く、傾斜地に作物が実る景色がとても綺麗で気に入っています。悪戦苦闘するからこそ収穫の喜びもひとしおです。風通しが良いので作物に病気が蔓延しづらく、農薬散布を減らせるのも利点です。現在は耕作面積の大部分で、化学肥料と農薬を半減させる特別栽培に取り組んでいます。
そして、土地がやせている分、新たな試みの効果がわかりやすく、どんどん色々なものを試したくなります。正解がないものにチャレンジしていくことに面白さを感じるようになりました。
昨年、厳しい土地で農業を続けていくヒントを求めてアメリカに研修に行き、リジェネラティブ農業(環境再生型農業)を学んできました。複数種の緑肥で畑を覆いながら作物を育てるその農法は、条件不利地に対してとても有効だと感じました。メリットとしては豪雨でも緑肥が緩衝材になり土が流亡しづらくなる、日差しを緩和するので干ばつに強くなる、土壌の微生物が活躍する環境が生まれ地力が上がるなど、たくさんあります。
今の段階ではこの農法のすべてを真似することはできませんが、原理を玉ねぎ栽培にも応用するべく、手始めに収穫後の後作緑肥を3種類植えたところ、カチカチの粘土畑が驚くほど柔らかくなり、大きな効果を実感し、可能性を感じました。今後はもっと緑肥の種類を増やし、より微生物を活性化させるなど、どんどん新しい技術を試して行き、異常気象も乗り越えられる持続可能な畑作りを目指していきたいです。

食料自給率の低さが問題になって久しい中、平地が少なく耕作地が限られる日本において、条件が厳しい山間地であっても試行錯誤して食料を生産していくことはとても大切なことだと感じています。ひとたび遊休地にしてしまうと畑は荒れてしまい、いざ耕作しようと思っても整えるのにかなりの時間と労力がかかります。情勢が変化し、食料危機に陥ってから生産を増やそうとしても、簡単に耕作面積は増やせないのです。
将来、子供たちの世代が飢えることがないように、受け継いだこの土地を改善し守り続け、未来につないでいけたらと思っています。