CTAFTSMAN.17

消費地に対する責任を
これからも果たしていきたい

北見市端野町の畑作農家

嶺 将太さん

私の家族は富山から移住して屯田兵時代からこの土地を耕し始め、当初は親戚3軒で共同経営を行い、祖父の代から独立して今では4代目としてこの土地を守り続けています。
私自身、実は農家を継ぐ気はなく、サラリーマンになれれば良いという考えで全く異なる人生を歩むつもりでした。酪農学園大学という農業に関連する学校を卒業したものの、JAに就職し、実家の農業にはあまり関わっていませんでした。しかし、兄が家業を継ぐ意思がないことがわかってから家業が絶えることへの寂しさを感じ、JAでの仕事を辞めて農家を継ぐ決意をしました。

実際に農家として生活を始めると、春の種まきや秋の収穫など休みなしで続く農業の大変さを痛感しました。JAで働いていた頃も農家さんとは関わっていましたが、職員として言うことと、実際に生産することの違いを強く感じました。ただ、JAにいたからこそ得られた知識や農家さんとのつながりなどもあって、今後の糧になっています。
特に、職員時代は生産量日本一の玉ねぎを消費地に販売する流通の仕事をしていたこともあって、全国の消費地に対して、安定的に作物を供給する社会的使命を強く感じています。
天候など難しいこともありますが、負けずに全国の消費地に向けて供給を続けられるように頑張りたいと考えています。

全国でも有数の規模を持つJAでは、たくさんの人と関わる中で仕事ができる楽しさがあり、就農した当時は家族経営の中で寂しさを感じることもありましたが、今では青年部との関わりの中での情報交換や、外部の勉強会などに参加して、経験値を持つ父のアドバイスと、外で学ぶ事ができる技術を組み合わせていく面白さを感じています。このような知識や技術の掛け合わせで、これからも安定的な生産を続けていきます。

また、高齢化が進むこの地域の農業では、離農する近隣の農地を吸収し大規模化が進んでいますが、1軒の農家で管理できる農地や規模の拡大にも限界があります。地域の農家だけでなく、第三者の受け入れも含めて考える事で、地域の農地を守り、維持していくことの重要性も感じています。閉鎖的ではなく、柔軟な考え方を持つことで、消費地に対して安定して生産と供給を続けられる地域でありたいと考えています。